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蒼い空
空は青く、澄んでいた。
吹く風は温く、初夏を思わせるには十分だった。
「?」
張遼はふと視線を園林に向けた。
偶然、と言うよりは誰かに呼ばれた気がした。
回廊から見える景色は青々しく茂った緑と、青い空。
そして、一人の少年だった。
太い木の上。
枝に座りながら、少年はただ一点を見つめていた。
虚空。
何もない場所をじっと、少年は見続ける。
表情はここからは伺えない。
どんなことを考え、何を思っているのか。
張遼には分からなかった。
一つ分かることがあるとすれば、近づき難い雰囲気だということ。
呼ぶことすら、はばかられた。
このまま声をかけず、立ち去った方が良いかもしれない。
何も見なかったことにして。
「――」
ポツリと、こぼすように音を漏らす。
これで気がつかなければ立ち去ろう。
まだ自分にはやることが残っているのだから。
ふ、と空気が動く音がした。
同時に、木の上に座っていた少年がこちらを振り向いた。
「 」
唇が形を作る。
紡いだ音は、きっと己の名前だろう。
視線が空から、こちらに移った。
園林に足を踏み入れようとしたが、先に少年が動く。
軽やかな身のこなしで、地面に着地する。
そのまま、こちらに駆け寄ってきた。
「こんにちは、文遠さま」
きちんと礼をとる少年に、張遼も答える。
「ああ、久しいな」
は顔を上げ、微かに笑う。
いつもと同じ邪気のない笑顔ではない。
どこか寂しそうな表情だった。
「……何を見ていたのだ?」
会話の糸口を見つけるように、張遼は問いかける。
何を、など決まっているというのに。
「空を見ていました」
視線が中空をさまよう。
憂いを帯びた表情は、少年というよりはまるで少女に見える。
中世的な少年だと、張遼は改めて思った。
「そうか」
頷いて、張遼は空を見上げる。
少年が見ていたものと同じもの。
青い青い、どこまでも続く空。
一体少年は何を見出したかったのか――。
「探し物は見つかったか?」
ふいに出た言葉に、張遼は自分で驚く。
誰かに導かれるように、話している自分がいたからだ。
「いいえ。
でも、一つ分かったことがあります」
首を横に振り、少年は答える。
「分かったこと?」
「どこの空も一緒なんだって。
ここも、別の場所も。
全部一緒なんだな、って思ったんです」
微笑を湛えて、少年が答える。
切なげな音を抱いて笑うを見て、張遼は胸の痛みを覚える。
そういえば。
少年の故郷は遠いところにあると聞く。
帰りたくとも帰れない。
ただ、故郷を思うことしか出来ないと聞く。
故郷に戻れないという意味。
思うだけしか許されぬ日々。
それらを、張遼はよく知っていた。
同じ境遇を持つ少年に、張遼は己を重ねずにはいられなかった。
「そうかもしれぬな。
戦場も、ここも。
どの空も変わらぬかもしれぬ」
世は乱世。
生きたいと願えない者は死す時代。
せめて故郷に似たものを。
同じようなものを見つけられれば、生きる糧ともなろう。
帰ることの出来ない場所を、少しでも感じることが出来れば……。
「文遠さまは、本当に戦場が好きなんですね」
クスリ、とが笑う。
表情は明るく、陰りは見えない。
「あ、いや。すまない」
思わず謝罪すると、少年は首を横に振る。
謝らないでください、と表情を崩さずに言う。
「何か、文遠さまらしくて安心しました」
先程とは違う、少年らしい笑顔が戻った。
邪気のない笑顔は、目の前に広がる青空のようだと思う。
澄んだ色をしていて、一点の曇りもない。
「ボク、そろそろ帰りますね」
「うむ。私も行かねばな」
この時間が終わることを、張遼は惜しいと思った。
正直、もう少し語らっていたいとも思った。
しかし、時間は無限ではない。
「ボクの話を聞いてくれて、ありがとうございました」
ふわり、と音がしそうな笑みをが浮かべる。
張遼はまだ小さな背の少年の、頭を撫でる。
「また何かあれば、いつでも聴こう。
は一人で抱えすぎだ」
「はい、ありがとうございます」
照れくさそうに、礼を口にする。
名残惜しかったが、張遼は手をどけてを解放してやった。
「じゃあ、お仕事頑張ってくださいね」
「ああ」
短く返事をすると、少年は軽やかな足取りでその場を立ち去っていった。
緑に囲まれた園林の中。
張遼は一人、空を見上げた。
きっと変わらぬ何かがある。
それを信じて、張遼は前に進むのだった。
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