カエリタイ




 どうして。
 どうして神様はボクをいじめるの?
 何もしてないのに。
 悪いことなんてした覚えないのに。
 帰りたい。
 幸せな、何も知らなかったあそこに帰りたい。
 ボクの帰るべき場所。
 ボクの在るべき所へ帰りたい。
 早く、元の世界に帰りたいよ……。




 ある日のことだった。
 突然、ボクたち下働きの人間が一箇所に集められた。
 そこはすっごく広くて、学校の体育館よりも広かった。
 舞台があって、そこにはこの邸の主である董卓様と、呂布様がいた。
 董卓様は煌びやかな椅子に座っていて、呂布様はそのすぐ横に立っていた。

「何がはじまるの?」

 すぐ隣にいた男の人に訊いてみる。

「いいか、坊主。
 悪いことはいわねぇ。
 絶対見るんじゃねぇぞ」

 その人は眉間に皺を寄せて、言った。

「どうして?」

 また訊いてみたけど、それっきり男の人は答えてくれなかった。

 ざわっ。

 急に辺りが騒がしくなった。
 きょろきょろと周りを見回してみる。
 みんなの視線は舞台の上に集中していた。
「?」
 ボクもそっちを見る。
 そこには、濡れた布を巻きつけられた男の人が三人。
 手を縛られていて、鎧を着た人に引きずられて来た。

「……?」

 何が始まるのか、ボクには全然分からなかった。

「お前たちに面白いものを見せてやる!」

 竹簡を持った男の人が大きな声で叫んだ。
 確か、董卓様はボクたちみたいな下っ端には直接話をしないって聞いたことがあった。
 多分貂蝉様だったような……?

 竹簡を持った人が、また話し始めた。

「よく見ておくように!
 目を逸らした者も、こいつらと同じ目に遭うと思え!!」

 そう言って、その人は奥の方に下がっていった。

 周りがまたざわざわしてきた。
 ボクには相変わらず意味が分からなかった。

 次の瞬間、ボクは自分の目を疑った。
 そして、後悔した。

 そのまま、意味など知らなければ良かった。
 忠告されたとおり、見なければ良かった。
 たとえ、同じ目に遭っても――。


 濡れた布を巻かれた三人の男に火がつけられてた。
 火は、燃え盛ることはせず、静かにその身を焼いた。
 じりじりと少しずつ。

「……!?」

 ボクは思わず口を塞いだ。
 油の焦げる臭いが場に立ち込める。
 皮膚が溶けていく。
 異臭が広がる。
 火は胴を焼き、髪を焼き、爪を焼く。

 人間が、炎に包まれている。

 目の前で起きていることが信じられなかった。
 怖くて、目を逸らしたいのに逸らせない。
 誰かに押さえつけられているみたいに、体を動かすことが出来なかった。

 火をつけられた三人は、床に自ら体を叩きつけ、もがく。
 顔の皮がめくれ、肉が見える。
 筋肉が焼けたことによって、関節が変に曲がる。
 男たちは、火を消そうと全身をかきむしる。
 が、それは出来るはずもなく肉片が宙に投げ出された。
 助けを求めるように、火を纏った男たちは手をこちらに伸ばしてくる。
 擦れた断末魔が耳に響く。

 その様子はまるで、踊り狂う道化のようだった。


 その時だった。
 ボクの目に、この世界に来たときの映像が蘇った。


 凍った血。
 膨れ上がった皮膚。
 足にしがみついてきた血まみれの手。
 皮膚から突き出した骨。

「ひ……っ、あぁ……」

 恐怖が走馬灯のように駆け巡る。
 胃の中のものが逆流する。
 ボクは無意識にそれを飲み込んだ。

「……っ!!」

 喉に激痛が走る。
 それでも、ボクは残りを飲み込んだ。
 口の中は、何とも言えない嫌悪感で一杯だった。

 耳に、豪快な笑い声が響く。
 それが誰のものかなんて見なくても分かっていた。
 我らが主。
 董卓様だって……。




?」

 その声に、はびくっと体を震わせた。

「ぶんえん、さま……?」

 聞き覚えのある声だった。
 だから、訊いてみた。

「やっぱりだったか。
 何かあったのかな?」

 いつもと変わらない優しい声。
 温かい。
 はそう、思った。

「こわ、かった……」

 たまらなくなって、は張遼に抱きついた。
 一瞬彼の体が震えた気がしたが、そんなことはどうでも良かった。
 今は、この恐怖を誰かに拭い去ってもらいたかった。

「どうか、されたかな」

 張遼の大きな手が頭にぽんとのせられた。
 そのまま、ゆっくりと髪を梳いてくれる。
 優しく、優しく。

「ボク、ボク帰りたい……」

 ずっと思っていたことを口にする。
 ここに来てからいつも思ってたこと。

 帰りたい。
 帰りたい。

 言いたかったけど、言えなかった言葉。
 それを今、目の前にいる張遼に言った。

……」

 温かみを帯びた声が降ってくる。
 は堪えきれず、そのまま声を上げて泣き始めた。
 目を閉じても、耳を塞いでも無駄だった。
 火ダルマになった人間も、董卓の笑い声もずっと焼きついてはなれなかった。



 ボクは、どうしてここにいるんだろう?

 どうして帰れないんだろう?
 
 カエリタイ。
 カエリタイ。

 ボクの家に帰りたい。

 自分がいるべきところはここじゃない。

 こんな殺伐とした、人を人と思わないのがいるところなんて。

 アイツはケモノ。

 人の皮を被ったバケモノ。

 嫌だ。

 こんなところにいたくない。


 ボクは、ボクは人間なんだから――。



<<前へ                                    >>次へ