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思案顔
ふと、人の気配がした。
房室の主は、顔を上げる。
近くにあった武器を手にしなかったのは、よく知った気配だった故。
「どうした?」
入口で拱手した男に、呂布は話しかけた。
「失礼つかまつる」
いつもと同じように、男は挨拶をしてから房に入ってきた。
その態度がどこか焦りを帯びていることに、呂布は気付かぬ振りをする。
多分、と呂布は思う。
理由は目の前の男から話すであろう、と。
「一つ、お訊きしたいことがございまして」
視線を合わせることはせず、呂布は卓に広げられた竹簡を手に持つ。
カラン、という音が室の中に響いた。
「何だ?」
呂布はあまり無駄なことが好きではなかった。
それゆえ、早々に答えを求めた。
「その……のこと、なのですが……」
男は何か煮えきらぬ思いがあるのか、口ごもる。
瞬間的に、呂布は眉をひそめる。
ちらりと男の方を見れば、珍しくうつむき加減。
あまり見ることの出来ない男の姿に、呂布は笑みをたたえる。
中々面白そうな展開だ、と。
「呂布殿は、あれの主と仲がよろしいとお聞きしました。
ですから……知っているかと思いまして」
「何が言いたい?」
先の言葉が予想できた。
それでも、呂布は男に言わせることにした。
理由は、その方が面白いからである。
「……正直に申し上げます。
は……女、なのではないのですか?」
「ははははは! お前は面白いことを言うな!」
「りょ、呂布殿?」
驚きを隠せない男を前に、呂布は豪快に笑う。
かく乱させるためや、演技などではなく。
本当におかしくて、心から笑った。
自分が考えていた通りの答えが返ってきたことが、おかしくてたまらなかった。
「あれが女か」
一通り笑い終わってから、呂布は男の目を見る。
「はい」
双眸は真っ直ぐにこちらを見ている。
どうやら真剣に悩み、そして、自分のところへたどり着いたのであろう。
「そう思いたければ、思えばいい」
一瞬、本当のことを伝えてやろうとも思った。
けれど、貂蝉の言葉が頭を掠めた。
「それは一体……」
「俺が言えるのはそれだけだ」
「はあ」
今にも頭を抱え込みそうな男に、呂布は畳み掛ける。
これ以上は言えない。
たとえ腹心の部下であろうと、愛しい恋人には敵わないのだ。
今の呂布にとっての一番は張遼ではなく、貂蝉であった。
「もういいか?」
悩みこんでいる部下に、声をかける。
「は! お手を煩わせました!」
「うむ」
入ってきた時と同様、拱手をして男は房室から出て行った。
その背を見送りながら、呂布は声を押し殺して言った。
「これで良いのだな、貂蝉」
と。
***
回廊を歩きながら、張遼は思考を巡らせていた。
じっと、地面を見つめながら。
私はなぜ、が女などと考えてしまったのだろうか?
ふと、温かな風が頬を撫でた。
男はそれに誘われるように、外に目を向ける。
空にはまだ、青と白が存在していた。
「……」
を女だと疑った時は、夕焼けの中であった。
あの少年の表情が、少し女性らしく見えた。
瞬間、鼓動が激しくなった。
まるで鍛錬を終えたあとのように、胸の奥が鳴りはじめた。
違ったのは、それに痛みを伴ったという点。
頬が赤く染まっていく音が、聞こえてくるような気がした。
激しくなる鼓動と締め付けるような痛みに、胸が張り裂けそうになった。
そう、恋でもしたかのように。
張遼は視線を地へと戻す。
そして、呂布の言葉を思い出す。
『そう思いたければ、思えばいい』
否とも応ともとれる言葉。
この短い一文に、真実が隠されている。
男は立ち止まり、腕を組み、唸る。
自分のこの思いは本物であるのか。
それとも、ただの勘違いであったのか。
答えを見つけるには、が男であるのか女であるのか。
それを知る必要があるのだ。
張遼は困惑する頭の中を、一つ一つ整理しようとした。
第一、女であるという証拠すらない。
なのに、自分は何と浅ましい。
大事な部下におかしな妄想を押し付けてしまうなど……。
「文遠さま!」
声がして、男はハッと我に返った。
「……!?」
武人であるのにも関わらず、気配に気付くことが出来なかった。
思わず、今の自分の不甲斐なさを責めたくなった。
「どうか、したんですか?」
「いや何でもない」
問いかけてくる不思議な色の目に、張遼は首を横に振る。
「そう、ですか」
少しだけ悲しげに、が笑う。
その表情に、不覚にも鼓動が跳ねた。
「……」
部下の字を呼ぶ。
「はい?」
声が返ってくる。
本人に訊いてしまえばいい。
張遼は手っ取り早い解決方法を考えた。
ちょうど今、目の前にいる。
辺りに人影はない。
気配も、ない。
訊くならば今しかない。
跳ねた鼓動が、少しづつ早くなっていく。
掌を握ると、汗ばんできているのに気付く。
「その……お前は……」
ぽつり、と声をこぼす。
言いたい。
訊きたい。
それなのに、なぜか言ってはいけない気がしてならない。
否、誰かに命令されているかのように、口が動かない。
呼吸すら、まともに出来ない。
胸が苦しくて仕方がなかった。
「?」
小首を傾げる。
不思議な色の瞳と、男にしては小柄に見える体格。
張遼は汗ばんだ掌を、さらに強く握りしめる。
爪が皮膚に食い込むほどに。
「……すまない、何でもない」
言おうとした言葉を、張遼は仕方なく飲み込んだ。
途端、息苦しさが消えた。
早かった鼓動も、手にかいた汗も。
すっと引いていく感覚がした。
「それならいいんですけど。
お忙しいのは分かりますが、無理はなさらないでくださいね!」
にこり、と満面の笑みを浮かべ、自分の部下は言う。
その表情は実に爽やかなものであった。
「ああ、すまないな」
張遼もそれを見て、笑みを浮かべた。
少年の頭を撫でてやりながら、男は思う。
故郷に置いてきてしまった、温もりを、愛情を。
きっと、求めてしまったのだろうと。
女人のように慈愛深く、繊細な心を持つ少年に。
ずっと傍にいて欲しいなどと、願っていたせいなのだろう、と。
せめて明日には、良き師匠へと戻ろう。
そう、張遼は思った。
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