夢の答え



 パチリ、と目が覚めてしまった。
「……まだ夜、か」
 体を起こして、少女は眠たい目をこする。
 格子窓から入ってくる光は淡い。
 まだ、夜だという証拠だった。

 ここ最近。
 長い時間眠ることが出来ない。
 嫌な夢を見る訳ではない。
 ただ、眠れないだけ。
 掌や額には、わずかに汗がにじんでいる。
 寝ていて、なぜか緊張している。
 人間の体の作りにあまり詳しい訳じゃないけど、それだけは分かった。
 
?」
「貂蝉さま」
 衝立の向こうから、声がかかった。
 それに、は答える。
 布の擦れる音がして、甘い香りが部屋に入ってきた。
「起こしちゃいましたか?」
 は主の瞳を見つめる。
 世話になっている人に、迷惑はかけたくない。
 だから不安になって訊いてしまう。
「いいえ、ちょっと呼ばれていて、今戻ってきたところなのよ。
 気配がしたから、もしかしたらと思って」
 ふわりとした笑みがこぼれる。
 その様子に、も安堵のため息をもらす。
 洛陽にいた頃から、貂蝉は夜になると誰かのところに出かけることがあった。
 誰のところに行くかは知らない。
 連れて行ってもらったこともない。
 きっと呂布のところだったり、宴の席なのだろう。
 はそう、思っていた。
「そっか、そうですよね。
 ……良かった」
 自分のせいではなかった。
 迷惑をかけた訳じゃなかった。
 思わず、ため息をもう一つついてしまう。
「こんなに夜遅くまで起きていたの?」
 寝台まで、貂蝉が寄ってくる。
 花のような香りが、すぐ近くまで来た。
 まるで春の風のように優しい香りと声だった。
「何だか良く分からないんですけど、起きちゃって……」
 すぐ隣に貂蝉が来てくれたおかげか、安堵感が生まれる。
 緊張はもう、ほとんど解けていた。
「汗をかいているわ。
 大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
 袖で汗を拭ってくれる。
 綺麗な布が汚れてしまわないか気になったけれど、は甘えることにする。
 貂蝉の好意が嬉しかったから。
「……嫌な夢でも見たの?」
「そういう訳じゃ、ないんです。
 ただ、ちょって眠れなくて」
 少女は苦笑いを浮かべる。
 嫌な夢は見ていない。
 むしろ、ここ最近夢らしい夢を見た記憶がない。
 確かに慣れない鍛錬やお手伝いで、疲れているかもしれないけれど。
「何か気になっていることはないかしら?
 眠れないのには、原因があると思うのだけれど」
 微笑む主の言葉に、は視線を泳がせる。
 『気になっていること』を、一つ一つ思い浮かべてみた。
「そういえば、少し気になってる夢があるような……」
 ふと思い出して、は口を開いた。
 良く考えてみれば、あの日からちゃんと寝られていない気がする。
 あれ以来、夢を見た記憶がない。
 『夢』は人間の願望を映し出すというし、元の世界にいた時だっておかしな夢を見たことはあった。
 つじつまが合わない夢。
 リアリズムがある夢。
 そうなりたいと願っていたことが叶う夢。
 色んな夢を見てきてたから、あまり深く考えてはいなかったけれど……。
さえ良ければ、話してくれないかしら?
 私には、聞くことしかできないけれど」
「いいんですか?」
「ええ、もちろん」
 同じ人間とは思えないほど綺麗に、貂蝉が微笑む。
「ありがとうございます、貂蝉さま」
 伝わってくる優しさが嬉しくて、もにこりと笑った。

 *** 

「上手く言えないんですけど、こんな感じの夢でした」
 大体の内容を話すと、貂蝉は黙ってしまった。
 何かをじっと考えていて、時々はっと顔を上げたりした。
 寝台に腰をかけている貂蝉を見つめながら、は小首を傾げるばかりだった。
「……。
 、その人たちの名前は聞けたかしら?」
「いいえ。
 突然消えちゃって、ボクも目が覚めちゃって」
「そう」
 ふるふると首を横に振ると、貂蝉はまた考え込んでしまった。 
 少し前にあった笑顔は、もう完全に見られない。
 変なことを言ってしまったのかと、は心配になった。
「……あの、貂蝉さま?」
 不安から主に声をかける。
 今目の前にいる女性が何を考えているのか。
 力になれないのか。
 それを知りたくて、は名前を呼んだ。
「もしかして、  かもしれないわね」
「え?」
 ぽつり、と呟かれた言葉は小さく、うまく聞き取れなかった。
「神、と言えば良いかしら」
「神様、ですか?」
 言葉を放った貂蝉の眼差しは、真剣だった。
 神様、という単語がうまく飲み込めない。
 あっちの世界で、その存在を実感することなんてなかったから。 
「ええ。ただの夢にしては、的確すぎると思うの。
 それに、あなたの名前を知っていたのでしょう?」
 言われてみて、初めてその事実に気がついた。
 今自分のフルネームを知っている人は貂蝉だけだ。
 もし、あの夢に出てきた人が『神様』なら、その辺は納得できる気がする。
 “お前をこちらに呼んだ者”。
 とも、名乗っていた。
 本当に自分をこの世界に連れてきた人だとすれば、神様だとしてもおかしくない。
 ――自分の願望が形となった、とかでなければ。

「でも、神様がどうしてボクに?」
 最大の謎は、そこだった。
 夢に出てきた二つの声が神様だったとする。
 だったら、どうして自分を選んで。
 どうして自分をこの世界に連れてきて。
 どうして体内の時間を止めているのか。
 には全然分からなかった。
 
 全てを正すため。
 歳を重ねられては困る。

 二つの声はそう言っていた。
 でも、それだけじゃ納得なんて出来るはずもなかった。
 は自分の体を抱きしめる。
 成長することがない、人としては有り得ない体であることを思い出してしまったから。
 コワイ、と感じて全身が震えそうになったから。 
「そこまでは分からないけれど……。
 願望が夢になったと言うには、どこか違う気がするわ。
 それに、そう考えれば全て納得がいく気がするの」
 貂蝉の手が肩を抱いてくれる。
 伝わってくる温もりが心地よい。
 少しずつ、少しずつ、安心感が心に染み渡っていく。
 手にこもっていた力を、少女は緩める。
「何か色々なことが一気に起こりすぎて。
 ちょっと頭が混乱してきました」
 は今更ながら、こちらとあちらの世界の差を感じた。
 神様がいる、と断定できてしまう主に、驚きと困惑を隠せなかった。
 あちらの世界でも、神社や教会、お寺はあったけど……。
 少女は頭を抱えたくなる衝動をどうにか抑える。
 ここが異世界だということが、身にしみてきた。
 それと同時に、逃げ出したくもなってきた。
「無理もないわ。
 今日はもう休んだほうが良いわね」
「……はい」
「眠れる?」
「大丈夫です」
 平気じゃない。
 眠れるかなんて分からない。
 それでも、は『はい』と答える。
 主である貂蝉に、あまり心配をかけたくなかった。
 寂しそうに笑って欲しくなかった。
「そう」
 短く答えると、貂蝉は立ち上がった。
 温もりが離れたせいか、隣がやけに寒く感じた。
 辛いと思ったけれど、はその思考を振り払う。
 今の自分は『男』としてここにいる。
 本当ならこんな夜中に、下男と主が一緒にいることすら好ましくない。
 主の隣に部屋をもらっていることすら、誤解を招きそうなものなのに。
「少しだけ。
 ……少しだけなら、傍にいてあげられるわ。
 あなたが眠るまでの間」
 薄い青色をした瞳が和む。
 自分の手を、細くて綺麗な指が包む。
「貂蝉、さま?」
「すぐ隣で眠ることはしてあげられないけれど。
 これくらいなら、私にもしてあげられるわ」
 歌うような声が言う。
 ほんの少しの時間なら。
 眠るまでの間なら、と。
「お願い……します」
 泣きそうになるのを堪えて、は言葉を返す。
 寂しい、辛い、苦しい。
 それでも耐えられるのは、この人がいてくれるから。
 少女の心に、ささやかな光が差し込んだ。


 その日、はよく眠ることができた。



<<前へ                                   >>次へ