それぞれの思い




 時は春。
 緑の葉が生い茂り、柔らかな風が頬がすぐ横を通り過ぎていく。
 長安へと都が移って間もない頃。
 は以前と変わらぬ、つかの間の平和を手にしていた。
 それは紛れもなく、少女が自分の手で守りきった場所。



「はい、これで大丈夫よ」
 お気に入りだった、深い青色の帯を少女の腰にしっかりと結ぶ。
 しばらく身に付けていなかった帯を。
「ありがとうございます、貂蝉さま!」
「どういたしまして。
 では、これをお願いね」
「はい!」
 巻き終えた竹簡を手渡すと、は元気な声で返事をした。

 やっと、少女に笑顔が戻った。
 貂蝉はそれが嬉しくて、微笑みを浮かべた。
 あの日以来。
 戦場に行くと決まった時から、少女は笑わなくなっていた。
 それがやっと……。
 また笑えるようになったのなら、こちらに来たのも良かったのかもしれない。
 戦場を離れることが出来たのだから。
 たとえ、多くの犠牲を払ったとしても。
 貂蝉はそう、思うことにした。


 ***


「失礼します」
 耳に音が入ってきた。
 男は、そちらを向く。
「来たか。
 よこせ」
「はい」
「すぐに返事を書く。
 そこで待っていろ」
「はい」
 短く、無駄のない返事。
 悪くない、と思った。
 竹簡に文字を書きながら、呂布は少女をちらりと見やる。

 これが女……。

 ふと、貂蝉の言葉が頭を過ぎる。
 言われてみれば、確かにそうかもしれない。
 男にしては細く、声も高い。
 喉元には、男が持つはずのものがない気がする。
 もっとも、襟の高い服を着ているから、よく見なければ気がつかないが。

「あの、何か御用ですか?」
 問われて、呂布は短く答えた。
「いや、何でもない」

 どっちにしろ、面白いものだ。
 呂布は微かに笑んだ。

 ***

「今日もよろしくお願いします!」
 元気な声と共に、少年は起礼をする。
 手にはすでに武器があった。
 少年のやる気が手に取るように分かった。
「うむ、怪我などはせぬようにな」
「はい気をつけます!」
 とびきりの笑顔を見て、張遼も目を細めた。
 自分が渡したものを、身につけていることも手伝って。
「変わったな」
 呟きは、誰に聞かれることなく風にさらわれた。

 この少年は、とても心が弱かった。
 戦場に出て耐えられるか、とても心配だった。
 今まで、よっぽど良い家で育ってきたのだろう。
 この戦乱の世に不釣合いなほど、世間を知らなかった。
 どこまでも純粋で、人を殺すことを全身で拒否していた。
 見ていて憐れだと思うほどに。
 
 けれど、少年は立ちはだかる壁を乗り越えた。
 武を使いこなすことが出来た。
 あの虎牢関の戦いの中で――。

「文遠さま、今日は手合わせをお願いしてもいいですか?」
「ああ、いいとも。
 手加減はしないぞ」
「ボクだって頑張ります!」

 また笑顔を見せ始めた少年の頭を、張遼は撫でてやる。
 よくやったと。
 よく頑張ったと。
 主の役にたちたいと願った少年は、一つ成長を遂げた。
 まるで自分のことのように、張遼は嬉しいと感じた。
 
「文遠さま、ボクのこと子どもだと思ってませんか?」
「いや、そんなことはないぞ。
 気分を害したか?」
「そういう訳じゃないですけど」
「すまないすまない」
 
 ふくれっ面をする少年を見ながら、張遼は小さな頭を優しく撫でた。
 これからが楽しみだ。
 そう、思いながら。



 それぞれの思いが交錯する。
 運命の歯車は、無常にも動き続けていた。


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