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相違
その日も、冷たい風が吹いていた。
すごく寒い日だったのを、ボクは覚えている。
「お帰りなさいませ」
部屋に戻ってきた主人に、は礼を尽くした。
「ただいま……」
主の声は、明らかに沈んでいる。
それに、は気がついた。
「貂蝉さま?」
小首を傾げて、訊いてみる。
お世話になっている人の役に、少しでも立ちたかったから。
「なあに?」
逆に訊き返されてしまって、は声をもらした。
「えっと……。
何か、あったんですか?
調子が悪そうです」
風邪でも、引かれたのかな?
それとも何か、嫌なことがあったとか。
は心の中で呟いた。
「……戦が始まるの」
ぽつり、と声がこぼれた。
「いくさ?」
一瞬、意味が分からなかった。
漢字に変換することが出来なかった。
少し考えてから、は言葉を紡いだ。
「もしかして、戦争、ですか?」
恐る恐る訊き返す。
信じたくなかったけど。
そうじゃないと信じたかったけど。
今の自分には、それしか思いつかなかったから。
「ええ」
返事は、たった一言だった。
部屋に、沈黙がおとずれる。
火鉢の炭がはぜる音だけが、その場に存在した。
「今ならまだ、間に合うわ。
逃げなさい」
凛とした声が、告げた。
それはあまりにも切ない音階。
「逃げるって、どこに逃げればいいんですか?
ボクには……ボクには。
行く場所なんてありません!」
思わず、は声を荒げた。
帰る場所なんて、逃げる場所なんて。
ボクにはない。
どこかに行きたくても、行けない。
戻りたくても、帰れない。
ここはボクのいた世界ではなくて、違う世界だから。
だから、ボクはここにいるしかない――!!
「そう、だったわね。
ごめんなさいね、」
優しい声と一緒に、細い腕が伸びる。
は、そのまま体を預ける。
柔らかな温もりに包まれながら、少女は声を震わせた。。
「ごめ……なさい。
ボクこそ、ごめんなさい……」
腕の中に抱かれて、はそれしか言えなかった。
あとは声にならず、ただただ涙になって流れていった。
***
心に不安を抱きながらも、は鍛錬に参加していた。
金属の重なり合う音や、男たちの大きな声がそこらじゅうに響き渡る。
いつもと何ら変わらないことすら、には辛かった。
この人たちが、死んじゃうかもしれない。
今日しゃべった人が、じゃべらなくなっちゃうかもしれない。
それが、怖かった。
「!」
呼ばれて、はどきりとした。
「はい!」
ほとんど反射的に、返事をする。
そっと振り返ると、そこには思った通りの人物が立っていた。
「どうした?
今日は集中力が足りんぞ」
「す、すみません文遠さま!」
慌てて、90度の礼をする。
普段優しい人だけど、こういう時の文遠さまはすごく厳しい。
はびくびくしながら、頭を下げていた。
「近いうちに戦もある。
油断などは、あってはならない」
「!?」
文遠の言葉に、はパッと顔を上げた。
「いくさ……ですか?」
「ああ。
此度の戦、戦える者は全て出兵しろとの、董卓様からの命令だ。
無論、も行くことになる。
初陣となるのだから、そなたも気を引き締めていかぬと……」
目の前の男の言葉に、は呆然とした。
貂蝉から聞いた話が、現実のものになった。
自分は戦争に出て、人を殺すことになる。
もうテレビや、物語の中の出来事ではない。
身近な存在へと、これから近づいていく。
「どうした、?
これでお前も、立派に主の役に立つことが出来る。
戦果を上げれば、貂蝉殿も喜ぶだろう」
師の瞳は、明らかに嬉しそうだった。
この時、ボクは初めて知った。
『武』を教えてくれると言った言葉の、本当の意味を。
文遠さまは……。
ボクを、立派な殺人者にしたかった。
この世界で『主の役に立つ』ということの意味。
それを、思い知らされた。
気がつくのが遅すぎた。
そう、ボクは思った。
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